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高久智基コラム。BLOG化!

Date:2014.12.03 
Category: その他


こんにちは。
ニセコ、ついに積雪しております!!

そんな中、無事にPOWCOM Snow Journal ISSUE No.2を配信する事が出来ました。
購読登録されたみなさま、読んで頂けたでしょうか?
ISSUE No.2もかなりレアな情報盛りだくさんで、特にメルマガ限定で登場したガイドMENUには、大きな反響頂いております!!!

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さて、今日はISSUE No.1で配信した「高久智基コラム~クルージングの発見~」をBLOG化し、さらに写真付きでお送りしたいと思います。
POWCOM ガイドMENUの中でも人気絶大な「ゲレンデ クルージング」。

このガイドメニューがどのように生まれたのか。高久智基がPOWCOM Snow Journal内で書いた記念すべき第1回目のコラムです。

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高久智基コラム ~クルージングの発見~


90年代の話。

フリースタイルを志した少年の前にあるのは、今と変わらぬ地形とパウダースノー。

違ったことと言えば人が少ないこと。

全山共通シーズン券が発売される少し前まで、現在では"Ace"と"King"と呼ばれている場所は異なるスキー場で、ヒラフの"アルペン"(現Aceエリア)は、スノーボーダーパラダイスだった!

それは、北西風の風下に在る"尾根"とその谷に設定された"スーパーコース"。
ニセコの中でもパウダーが堆積する条件を兼ね備えた場所だったことや、高原には"2壁"というモーグル斜面があって、上手い一般的なスキーヤーはそっちに集まる傾向があったことも影響したのだろう。

「上手くなりたい。」

当時の舞台は何と言っても"センター4"。
朝一は良いけど、ナイターも良い。言ってしまえば、いつでも良い。

しかし朝一、1本目の"センター4"リフトは超特別でもあった!

想像して欲しい。
「リフトから見えるその景色は、毎日何度も見ているそれそのもの。そういえばナイターでも見ていた。
しかし一晩の降雪にしてその様相は一変、昨夜のトラックはほぼ確認出来ない、しかも低い雲の割れ間から陽が射し斜面を照らしているではないか。」

この場に居れたことだけでも素晴らしいことだけれども、ここからがまさに本番。生々しい"レース"というかリアルな"フリーライドコンテスト"が繰広げられるのだ。

ルールは人それぞれあるのだと思うけど、朝一の常連とその場に居合わせた平均20名ぐらいの滑り手達の中には、道具を飛び越えて、滑走から得られる達成感をリアルに追求していたと思うし、何より共通の想いがある場所だった。

速く滑ること。大きく飛ぶこと。
そして斜度の魅力を知れたのもここからだった。

これは今のガイドとして斜面を滑ることへも大きな影響を及ぼしている。

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2000年初頭に東山スキー場(現ニセコビレッジ)のLTDコース(現スーパースティション)を開発整備を行なっていた時期。NISEKO UNITEDのポスターにも起用されました。
Photo.Yoichi Watanabe


ガイド業を始めた90年代後半当時は、自己責任エリア(スキー場管理区域外)は、全て"立入禁止"とされていた。

現在の日本の多くのスキー場が選んでいる対策と変わらないもの。発展性に欠けていた。

ライダーとしてだけやって行くこととは違うのだ。ということだけは強く感じた。

それは前年に身近な先輩が当事者となった"春の滝 雪崩事故"から、結果を突きつけられることを目の当たりにしたことの影響は根深い。この話はまた機会を変えて書かなければならないと思います。

とにかく、個人的には超えていたロープを潜ってガイド行為を行なうことが嫌になっていた。
同時期にニセコローカルルール(現 ニセコルール)の整備も進んで行く最中だったので、余計に超えづらくもあったし、また現在のゲートのある場所に"ロープの隙間"と呼ばれたグレーな場所が出来て行く過程に歓べたことで、問題を起こすこと無く過ごすことが出来たのかも知れない。


嵐の中の様なタイミングで産声を上げたGENTEMSTICKに当初から関わっていく中で、販売店の皆様には滑走技術も併せて売って行くことが不可欠であるという時代背景と直面する。
GENTEMSTICKの自分としてと、POWDER COMPANY GUIDEでの自分と、スノーボーダーの自分が同じ目的に向った瞬間でした。

センター4で培った技術とコンディションを見定めて決定するルーティーンが商品となり、ゲレンデを中心に行なう"クルージング"の誕生しました。

その後は、お店の店長さんやライダー、常連さんにご支持を頂き今日を迎えることが出来ています。

こうして生まれたのが、POWDER COMPANY GUIDEの"ゲレンデ クルージング" クルージングなのです。

でもこれは当時の時代背景からすると、とても革新的であり、また滑稽にも写ったことでもあります。

誰でもリフト券を買えば行けるゲレンデをガイドと一緒に行くなんて、山岳ガイドやそのお客さんから見ればナンセンスだったかもしれません。

ゲレンデガイドは勿論、バックカントリー、滑走の為にというガイド会社もほとんどなかった時代ですので、しかたがないことだと思っていました。

しかしこれこそが本質だったと感じています。

「どう滑るか?」という事をガイドが"実践"して、お客様が滑るのを観る。セッション。簡単にいえばこれだけなんですが、そこには数々のテクニックもありますし、なかなか言葉では伝えづらい。


山 (バックカントリー)に行っても目的に対する基本は同じです。

しかし、安全管理では大きく異なります。ゲレンデ以上に行動も滑りも何段階もセーブします。

スキー場が行なっている安全管理をグループ単位で行なう必要があるのです。


山とパウダーから生まれる環境と可能性は、ホント素晴らしい。人生を変えてしまう程の魅力があります。

そんな特別な環境のもとだからこそ、「どう滑ったのか?」は更に重要だと思うのです。

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2002年 ニセコモイワスキー場が2年間休業していた時に「バックカントリー」と見立てて行なったツアー風景

高久智基

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POWCOM Snow Journal 高久智基コラムでは毎号こんな逸話コラムを配信予定です。
ニセコ、POWCOMファンなら見逃せないですね!

それではみなさん次回の POWCOM Snow Journal のブログ化、楽しみにしていて下さいね。


POWCOM STAFF
Shino



Author: パウダーカンパニー

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